いただきますJP moku オンラインンストア『あぁう米』
日本人が古来から引き継いできた「食の精神」
今日は、日常なんとなく使っている「いただきます」という言葉について理解を深めることで、こうして今日まで継承され続けてきた作法の意味合いを探求していきたいと思います。

以前、食について非常に造詣の深い木村まさ子さんがこんな文章を書いておられました。
『・・・・・少し前のことになりますが、給食の際に、なぜ「いただきます」「ごちそうさま」を言う必要があるのかという声が一部の父兄から上がり、問題になったことがありました。給食費を払っているのだから食べるのは当然の権利。そんな言葉を言う必要がないというのが、親たちの言い分です。
「いただきます」「ごちそうさま」と子どもに言わせるのは、宗教教育だからやめてほしいという父兄まで出てきました。こうした“騒動”に、学校の先生方は困り果てました。「“いただきます”とは、動物や植物そのもののいのちをいただくということ。いのちをいただくことで、自分のいのちを永らえさせていただくという感謝の言葉です」と思われた先生もきっといたことでしょう。

でも、どうしても父兄は納得しなかったようです。そこで驚くべき結論を出し、それを実行した学校がありました。「いただきます」という代わりに、笛を吹くことにしたのです。先生が「ピー」と笛を鳴らすと、子どもたちはいっせいに食べ始めます。

「いただきます」の言葉には、感謝する心、思いやる心、想像する心など、目に見えない大切なものを育む力があると思います。
食べ物は“餌(えさ)”ではなく、食事はものを食べる訓練とは違います。これでは心が育つはずがありません。』

私もこの文章を読んでいて「ああ、まったくその通りだ」と感じました。と同時に、合理性と効率だけを求めて経済の発展を自らのよりどころにしてもいっこうに幸せになれないといった、今の世相感を解消するヒントがここにあるかもしれないという予感、いわば私たち現代人の「忘れ物」がそこにあるのではと思ったのです。

私が立てた仮説は、「いただきます」と口にすることはその「本意」を心に呼び起こす初動のようなもので、その「本意」の作用によって「食と密接である己という存在」の精神を満たし、自分をコントロールする術としてきたのではないかというものでした。
西洋では「いただきます」に相当する言葉がないそうで、誰に対して何をするのかはっきりしない、抽象的、日本人だけが使う言葉という捉え方のようです。逆説的にいえば「いただきます」という意味合い(思考や感性)は外国人には無い、日本人独自のものだといえます。

「いただきます」の本意を追求することは、私たちの「心の持ちよう」を知ることに繋がるか?
少なくとも日本人独自の精神性に深く迫ることは出来そうなテーマではないでしょうか。
【意味】
いただきますとは、食事を始める時の挨拶の言葉。物を貰う時の言葉。

【いただきますの語源・由来】
「いただき」は、動詞「頂く・戴く(いただく)」の連用形。
山や頭の一番高いところを「頂(いただき)」と言うように、本来は「いただく」は頭上に載せる意味を表した語である。
中世以降、上位の者から物を貰う際に頭上に載せるような動作をしたことから、「いただく」に「もらう」という意味の謙譲用法が生じた。
やがて、上位の者からもらった物や神仏に供えた物を飲食する際にも、頭上に載せるような動作をし食事をしたことから、飲食をする意味の謙譲用法が生まれ、食事を始める際の挨拶として「いただきます」と言うようになった。
語源由来辞典より

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